ジェイエムウエストンは靴のバッハである

 常々、筆者がジェイエムウエストンに対して抱いていた印象。それは「バッハみたいだな」ということです。モーツァルトやベートーベンには失敗作を存在します。しかし、多作家で若い頃から65歳で没する前年まで旺盛に創作を続けていたにもかかわらず、小品から大作まで例外なく傑出したバッハの諸作品は、ネガティブに評価されることがありません。つまりは批判を寄せ付けないほど、すべてが高い次元で完成されているということ。画家ならレンブランドとかベラスケスが、やはりそんな存在であるように思います。
 ジェイエムウエストン(以下、ウエストン)についても、筆者はネガティブにいわれるのを聞いたことがないのです。コンフォタブルな木型と細部まで計算されたデザインとの絶妙なバランス、一流タンナーによるトップグレードの革の、それも最も留良質な部位のみを使用するという厳格な姿勢、すこぶる高度な製靴技術と徹底したクオリティコントロール、4mmピッチ設定(通常は5mmピッチ)のサイズと数段階のウィズ(ローファーでは6段階も!)という顧客重視のブランド哲学と不動のブランドステータス…と、全ての点でウエストンは完璧だと筆者は考えます。まぁ、あまりの優等生ゆえに敬遠する人もいらっしゃるでしょうが、それはもったいない。優等生とはいえ味気なさとは無縁で、むしろバッハの音楽と同様、知るほどにその味に魅せられていく。そんな魅力がウエストンには備わっているからです。
 1891年、エドゥアール・ブランシャール氏がパリ近郊のリモージュ(現在もこの地に工場があります)にブランシャール社を築いたのがウエストンの事始めです。当初は機械式による量産靴を手掛けていましたが、アメリカでグットイヤー製法を研究していた息子ユージェーヌ氏の帰国後、機械式と職人の手仕事を積極的に組み合わせた独自の生産システムを構築。1922年にパリのクーセル通りに直営第1号を開き、初めて「J.M.WESTON」の名を世に送り出し、その10年後には現在の本店であるシャンゼリゼ店もオープンしました。
 1980年代、革底用皮革を供給していたリモージュ近郊のタンナーが経営難に陥ったことから、それを買収。ちなみに世界中のシューメーカーのうち、タンナーを抱えているのは、ウエストン以外では米レッド・ウィング(こちらは底材用ではなく、アッパー用の革を生産しています)くらいですから、これは非常に珍しいことなのです。また、その自社製の本底革はドイツ産などの原皮を1ヶ月半〜2ヶ月間、タンニン槽に浸け込んだのち、樫のチップ材と一緒に堅穴に入れ、何度か裏返しの作業を施しつつ8ヶ月〜10ヶ月寝かすという、これまた大変に珍しい技術で製革されます。誠に手のかかる、このなめし法によってできあがる革は目が詰まったものとなり、しなやかでありながら摩耗しにくいという特性を獲得します。
 ウエストンについては、まだまだ書きたいことがあるのですけれど、残念ながら字数が残りわずかになってしまいました。 数々の名靴をコレクションにもつウエストンですが、やはりどれか1足をとなれば。やはり180に尽きると判断し、ここに取り上げました。昨今の靴人気をさかのぼると90年代初め頃に至りますが、ファッション業界などほんの一部の人たちは別として、当時、一般の人々が「高級靴とはかくなりや」と開眼できたのは、このローファーがあったからだと思うのです。そうした歴史的な貢献を含めて、やはりウエストンはバッハのように偉大な存在なのだと思うのです。

出典:靴を読むより

【令和3年5月2日】更新

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