パンクをキメたくば、これを履け!

 世代にもよるのでしょうか、筆者はジョージ・コックスと聞いて思い浮かべるのは70年代のパンクロックです。
 手元の資料を確認しますと、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンやシド・ヴィシャスに限らず、ジョージ・コックスは同じく英国ブランドのドクター・マーチンとともにパンクアイコンとして一世風靡したシューズブランドなのでした。
 もっとも、このメーカーの歴史は古く、ジョージ・ジェームス・コックス兵が靴の聖地ノーサンプトンにジョージ・コックス社を設立したのは1906年といいますから、すでに100年以上の歴史を持つ老舗なのですね。
 ちなみに、当時生産していたのはグットイヤー製法のドレスシューズと推察できます。しかし、1949年に「ブローセル・クリーパーズ」をリリースする頃から若者向けのカジュアルシューズに注力するようになり、60年代にはポインテッドトウの「ウィンクルピッカーズ」なるモデルも大ヒットをさせています。
 その「ブローセル・クリーパーズ」はU字形の切り込みにインターレースが編み込まれたフラットなモカをもつ無骨なフォルムに極厚のラバーソールやマットガードが装着され超個性的な靴。50年代以前、このような過激とさえいえるデザインの靴がすでに存在していたとは驚くばかりです。なにしろ、その頃の日本といえば高度経済成長以前で、国民が敗戦から立ち直ろうと懸命だった、そういう時代なのですから。
 しかし、この過激なルックスだからこそ、後年「ブローセル・クリーパーズ」はパンクロッカーたちの絶大な支持を受けることになるのです。で、その経緯は以下の通り。
 デザイナーで起業家のマルコム・マクラーレン氏(2010年死去)と、公私でパートナーだったあのヴィヴィアン・ウェストウッド女史が1971年、ロンドンのキングス・ロード430番地に開いたフィフティーズファッションの店「レット・イット・ロック」で「ブローセル・クリーパーズ」は売られていました。76年、その店をポンテージファッションのブティック「セックス」(なんという店名でしょう!)にリニューアルした際、マクラーレン氏は販促の効果的な手段として、この店にたむろしていた不良バンドのメンバーに「セックス」の商品ラーレン氏の期待通りに数々のスキャンダルで悪名をはせ、ほどなく「セックス」はパンクの聖地となり、「ブローセル・クリーパーズ」はパンクファッションの定番靴に。そして日本でもその存在が広く知られることとなりました。
 その後、ジョージ・コックス社はマクラーレン氏とたもとを分けたウエストウッド女史をはじめ、ジョン・ムーア、キャサリン・ハムネット、ヨージ・ヤマモトなど、有名デザイナーやミュージシャンともコラボモデルを発表し続けており、途中、何度かの経営危機にみまわれながらも、それを乗り越え、根強い人気に支えられ、今日に至ります。
 ある人から聞いた話では、ジョージ・コックスはとりわけ日本人に愛されているブランドで、このブランドのマーケットのうち、なんと約70%が日本なのだとか。それだけパンク・ファンが多いということなのでしょうか?でも、英国の老舗の、エキセントリックだけど、なぜだか「憎めない」この名靴をこよなく愛する人々が多くいるのなら「日本人もなかなかじゃないかっ」などとちょっと嬉しい気持ちになりました。
 
 出典:紳士靴図鑑50ブランドより

【令和3年4月30日更新】
 

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